AKIBI複合芸術ピクニック

AKIBI複合芸術ピクニック AKIBI複合芸術ピクニック

戻る

#Winter Program

冬編の成果展示#4

庄司彩未

「旅によって変容するマタギの装具と価値観」

 

雪兜(マタギボッチ)、虎帽(ダオボッチ)

※変化前:虎帽、変化後:雪兜大正後期~昭和初期        馬尾 棕櫚 木綿 羊毛フェルト 真綿

 

 

What we learned from Aburaya-san

 

雪兜は主に雪除け笠として使用された。油谷氏は素材について、北前船の移入品として南方から船乗りが仕入れた棕櫚か馬の尾であり、人と人のつながりで巡り巡って職人にわたり、モノが完成されたのではないかと話した。

また、雪兜の使用者について、お金がある人が限定的に装飾のあるモノを身につけることができること、町に出ていく人は装飾品を身につけることで商売が繁盛していることを間接的に顕示し、さらなる繁盛につなげていたということを話した。さらに、民具に関する文献調査を進めると、雪兜はマタギが狩猟の際に使用する着装具であることが判明した。マタギは狩猟時に険しい雪山を駆け巡るため、軽量かつ雪除けができる機能性の高いものを好み、秋田県阿仁地区では虎帽を使用することがあった。

一方、雪兜は虎帽に対して重く、マタギには個人が目立ちたいという考え方がないのにも関わらず過剰な装飾が施されていることが特徴だ。

 

 

Concept development

 

油谷氏の話やそれを手掛かりにした文献調査からは判明しない点がいくつかあり、次の2つの問いが生まれた。

一体なぜマタギは一見すると価値観との整合性に欠ける装具を身につけたのか。そして、いかにしてマタギの装具と価値観は変容したのか。

これらの問いに対する仮説として、雪兜に内包される旅マタギの大正時代の物語を新たに紡ぎ、秋田を中心とする東北地方に潜在する物語として再定義したい。なお、この物語は油谷氏の語り及び歴史的根拠を織り交ぜて作成した架空の物語である。

 

 

Our story

 

マタギ発祥の地・阿仁地区根子のマタギの中には、薬としての効能がある熊の胆嚢を他の地域に売り歩く、旅マタギが存在した。旅マタギによる薬の行商によって、阿仁地区から各地にマタギの集落が構築されていったと考えられる。

胆は高値で売れるため、旅マタギは山里で暮らしていた頃よりも経済的に豊かになっていった。こうして商人としての性格が強まっていく過程で、職人技に優れた装飾性のある雪兜を購入して被り始め、その豪華な装飾がさらなる商売を繁盛させたのかもしれない。

また、行商の過程で誇りの対象も変化しているのではないだろうか。具体的には、虎帽を被っていた阿仁マタギの頃は、ムラの中で狩猟に長けた者が自尊心を持つのに対し、雪兜を被るようになった旅マタギは薬の行商人としての成長や裕福さに誇りを感じていたと想像する。このように、装具と価値観は相互作用的に変容したのだろう。

 

●朗読「雪兜に内包される旅マタギの大正時代の物語」

 

shoji_pdf_2

 

 

 

 

 

 

Facebook Instagram mail
夏編参加者募集中